コンビニ人間(村田沙耶香)書評@みらいけん副所長乱読チャレンジ②☆ネタバレ無☆

みらいけん副所長乱読チャレンジ第2回の課題本は、第31回読書会参加者のよこてんさんの紹介本「コンビニ人間」だ。チャレンジ概要はこちらを参照されたい。第31回みらいけん読書会で紹介された他の本は、「ついやってしまう体験の作り方」「蜜蜂と遠雷」「謎の独立国家ソマリランド」「ヒッキーヒッキー・シェイク」「国土が日本人の謎を解く」である。今回は、僕にとって特に苦手としている分野がない、どれもそこそこ読みたいなと思うラインナップだった。少々迷った末に、タイトルに最も気を引かれなかった(失礼)「コンビニ人間」を今回の課題本にすることに決めた。最も、僕は近代小説というものに普段からまったく親しみがないので、「乱読」の対象としての要件は満たしているものと考えてのことでもある。決して一番薄かったから選んだわけではないことをここで述べておきたい。さて、読書感想に移ろう。
良い小説家の条件とはなんであろうか。一つは小説の登場人物に現実的な肉感と存在感を充分に与えることができる、ということではないだろうか。この主人公や恋人(?)役のようなある種「特異な人物」(あえてこう書くが)を、僕は現実に見たことがない。実際に見たことがないにも関わらず、彼らのような人間は現実に存在しうる、いやきっとしているという妙なリアリティ、つまりは現実的な人格としての肉感をしっかりと感じられるのである。
ところで、ロシアの文豪ドストエフスキーの小説、「地下室の手記」の前書きにて、彼はこう語っている。「この手記の作者(小説の主人公のこと)も、この手記そのもの(主人公が地下室に残した手記のこと)も無論虚構である。にもかかわらず、この手記の作者のような人物は、そもそも我々の社会が形成された事情を考慮すれば、我々の社会に存在する可能性は大いにある。いや、それどころか、むしろ必ずや存在するに違いない。私は読者の眼前に、つい最近過ぎさった時代の一つの典型を、通常より少し目立つ形で抽出したいと考えた。」この「コンビニ人間」の作者村田沙耶香氏も、ドストエフスキーと同じように社会が形成された事情や、その現状、そこに生きる人々を具に観察、それを洞察し概念化、それを新たに人格という形に練り上げて、この登場人物達を作り上げたのだろう。おそらく、その動機も同じであろう。そしてそれは僕が見たところ、見事に成功している。こういったことが、僕がこの小説から受けた最初の「凄み」であった。
小説で描かれているテーマ、テーゼについても、いろいろ言及したいところではあるのだが、これが中々難しい。今日までに2度通読したが、僕はまだこの小説をどう読んだものか、わからない。したがってそれを説明もできないし、そのための言葉も殆ど持たない。キーワードだけであれば列挙することができそうなので、ひとまず挙げてみたい。「普通性」「異常性」「有機的」「無機的」「感情的」「合理的」「感覚」「理性」「人間性」「動物性」「主体」「客体」「包摂」「排除」ふむ。キーワードを挙げるだけで感想がが整理されて行く気がする。何かが形になっていきそうな気がするが、残念ながらすぐに形になりそうにないので、また別に書く機会を設けようと思う。挙げたキーワードやネタバレの無い他の書評などを参考に、一読をお勧めしたい、「凄い」小説であるということだけはお伝えしたい。
うーむ。
とりあえずもう一度読もう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA