「信長の原理」(垣根涼介)書評@みらいけん副所長乱読チャレンジ①

こんにちは。みらいけんのイズミです。みらいけん副所長乱読チャレンジ第1回の課題本は、第30回みらいけん読書会でしげとさんにご紹介いただいた「信長の原理」です。チャレンジの概要や、目的はこちらをご覧ください。
さて、というわけで今回の課題本「信長の原理」の書評を書いていきます。私は知識がひどく偏っている人間ですが、とりわけ日本史の教養が特に無く(お恥ずかしい話です)、戦国時代の武将が天下統一を目指して戦う!みたいな物語に本来全く食指が動きません。この本は、そんな私が読んでも挫折すること無く、最後まで読み進めることができる歴史小説でした。
戦国時代を描いた歴史小説が読みにくい最大の理由は何処にあるのか。僕は「固有名詞の多さ」にあると思います。例えば、「○という国に×という武将が居て、その別名は△といい□という城に居を構える。それは〜という大名に仕えており、その政敵の誰々と云々といういざこざが絶えず、遂には何処何処の戦いで…」こんな風に説明をされても、背景知識がなければ何がなんだかわかりません。しかも物語が進むごとに全く別の名前になっていたり、似たような名前の家臣が3人くらい増えていたり、もうめちゃくちゃです。人物相関関係図の自作が必須です(私にとっては)。
私がこの小説を最後まで読み終えることができた理由の一つはおそらく、こういう固有名詞の把握を完璧にしなくとも、物語の大筋が掴める構成になっていたことでしょう。(戦国でも最も有名な織田家が題材であることが手伝っているところもあるでしょう)
物語は後半まで基本的には織田信長の視点で描かれます。織田家に生まれ育った信長の視点が基軸になるので、誰が政敵で、優秀な家臣は誰で、自分はどのように動けば良いのか、というものを読者と共有する形で、わかりやすく示されています。もう一つ、この本を挫折せずに読むことができた理由は、タイトルにあるように物語を一貫して 「(神仏を信じぬ)信長(が考える世)の原理(ことわり)」というテーマが刺し貫いていることしょう。
幼少期の信長、吉法師は蟻の観察をすることが好きでした。ある日吉法師は、蟻の集団はよく働くもの、それに釣られてなんとなく働くもの、働いてるようで怠けているもの、の割合が常に2:8:2になることに気がつきます。やがて大人になり兵を統べ、名を挙げるようになると、それが戦の時、兵の集団の働きにも適用されることを思い、その割合を崩そうと、ある時は優秀な侍を新しく雇ってみたり、ある時は兵を奮い立たせてみたり、色々な施策を講じますが、その槍働きの割合はどうしても2:8:2。神仏を信じない合理主義者である信長でも、この説明のつかない、しかし決して抗えないそういった「世のことわり」と、その生涯を通して超克しようとする、そんなテーマです。
総じて、背景情報を全く知らない人間でも、関心を持って読み進められるような歴史長編小説でした。彼らと一緒になって旅をして、ついにはその旅が終わる感慨、寂しさ、名残惜しさ、そういう「いい気分」とはまた違った感情を読後に楽しめることも、長編小説の醍醐味なのかな、とも思いました。
…最後に、次回はもっと余裕を持って読み進めたいと思います(毎回言っている)。

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