みらいけんオトナも自由研究会発表会レポート

「勉強」とは「教科書を読む作業」であり、「研究」とは「教科書を作る作業」である。とは、筑波大学准教授の落合陽一氏の言葉である。中々明瞭な整理ではないだろうか。
その定義で考えれば「自由研究」とは、「自由に、ある事柄についての教科書(のようなもの)を作ってよい」機会と考えることができる。
「自由」なので、完璧に秩序立って、完成されたものでなくても構わない。例えば、1ページ分の文量しかなかったり、いくつか落丁していても良い。自身の課題と、それに対応する論理が示されていればそれで良いのである。
なるほどこう言えば、とても楽しい機会のようのに思えてくる。自由研究は、沢山の教科書(≒本など、整理された情報)を読んだり、実践したりして、知識や経験を蓄えた大人になった今こそ、本当の意味で楽しめるものなのかもしれない。
そんな動機から立ち上がった[オトナの自由研究発表会]が9月21日にみらいけんで開催された。参加者の研究内容は以下の通りである。
・中東情勢について
・パラダイムシフトとメタファー
・大学の卒論を振り返って
・塗香について
・消防士が教える「アートを好きになるコツ」
・現役教員が考える理想の宿題「夏休みに楽しかった事10選」
・「asobi.life」2人で楽しく暮らす
・編み物3年の到達地点
・コールドシャワーと不安、真のコンテンツについて
・着物と着付け
・「自己紹介とは」
・「大人になってから学ぶってどういうこと?」
筆者が1番興味深く聞いたのは、「パラダイムシフトとメタファー」である。世界における価値観の文脈が一新されるパラダイムシフトの背後にはどのようなメカニズムがあるのか、という内容だった。これを聞くことによって、筆者がいわゆる人文(科)学に求めるものの一つは、精神的な自由を得るために、現代のパラダイムの内外に存在する観念を理解し、言語化、又は概念化することなのだ、という発見をすることができた。
他にも「自己紹介とは」の発表では「わたしは○という仕事をしていますと言った瞬間に、その仕事をしていないわたしはどこへ行ったのか」「DoよりBeが自己紹介たりうるのではないか」という言葉にハッとさせられたり、「コールドシャワーと不安、真のコンテンツについて」では、コールドシャワーの体験談が、理性不安と感性不安の話に繋がり、最終的にはメディアの不安を煽るコンテンツと真コンテンツの在り方に繋がり、その発想に関心した。
などなど、自身の専門分野、趣味、モノづくりから哲学的論考まで、バラエティに富み、独創的な研究内容が並んだ。発表者も聴講者も熱量が高く、全体を通して生き生きとした研究発表会であった。みらいけんとしても初めての試みであったが、狙いどおり参加者全員が「学ぶ楽しみ」を改めて感じられるようなイベントになったと思う。
日本の社会人は先進諸各国の社会人と比べて、全然勉強をしていないと言われることがある。勉強の定義や統計のデザインに依るところがあるとは思うが、概ね事実なのだろう。しかしなぜ勉強をしないのか。それは勉強に「役に立つ」以外の意味を見出せないからなのではないかと筆者とみらいけんは考える。その意味を発見していくために、今回のような機会と、場を提供していくことが、大人の学びと成長のプラットフォームたる、みらい研究所のミッションであると改めて思った。「勉強会(教科書を読む会)」だけではなく、今回のような「研究会(教科書を作る会)」も、積極的に開催していきたい。

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