お金を増やすことの意味を考えるセミナー 感想文

8月13日、「お金を増やすことの意味を考えるセミナー」がみらいけんで行われた。「貨幣の歴史」に始まって、「お金とはなんなのか」ということを考えるセミナーだった。筆者が本セミナーで学んだことはいくつかある。一つは「お金は価値そのものではなく、価値交換を円滑にするための道具である」という事実だ。考えてみれば当たり前の話だが、セミナーを受ける前、お金についての認識をリフレーミングする前の自分を振り返ってみれば、「貨幣とは価値」であると漠然と認識している自分を発見できる。そして大半の人が、そうであるのではないだろうか。考えている、ではなく、認識している、というところがポイントで、お金についてじっくり腰を据えて、本を読んだり、今回のようなセミナーを受けて「考える」ことをしなければ、変わるきっかけさえ持たないのが「認識」だ。我々の生活に、もっと言えば、生存に深く関わっている「お金」に対して事実と異なった認識をしていたことを、今は少し、恐ろしく思う。特にこの勘違いは、お金というモノの魔力を悪い方向へと増幅させてしまうように思える。「貨幣こそが価値の正体である」と。

貨幣そのものが価値の本質でないとすれば、何が価値の本質であるのか。それは効用であるという。効用とは、[消費者がある財やサービスを消費することによって得ることができる主観的な満足・欲望充足(への貢献)の度合いのこと]だ。例えば、素敵な木の机が欲しい消費者が、お金を払って、机を手に入れる。その時に感じる主観的満足度、つまり「嬉しい気持ち」の度合いだ。価格、木の質感、机のデザインなどを総合してどのくらい「嬉しいか」ということだ。本質的に、生産者としての私たちは、この効用と引き換えに、お金を貰って仕事をしているということになる。故に、労働と、それによって発生するお金について考える時に、「これだけ働いたのだから○円もらう権利がある」という考え方より、「こんな効用を生み出したのだから、○円もらう権利がある」の方が、考え方として妥当だということになる。この考え方は、個々人の仕事をより洗練された、意味のあるものに押し上げてくれるのではないだろうか。しかし、そこには必ず効用をどの程度測定することができるのか、測定できたとして相応しい対価とはどれほどのお金なのか。という経済学的(あるいは哲学的)な問題がつきまとってくるのだが、本題から逸れてしまうのでまた別の機会に考えることにしよう。

生産行為は、効用と引き換えであるという考え方は、働くモチベーションにも強く関わってくるところでもあると思う。 海外の研究では、モチベーションが低下したビジネスマンを、エンドクライアントに対面させて、交流させることによって、社員はモチベーションを取り戻したりすることが確認されていて、自分の仕事が本質的に誰の役に立っているのか、どんな効用を産み出しているのか、ということを考えることが、大切だと言えそうだ。こんな風に、お金の話をすると、同時に労働と生産行為のことについても考えることになるので、お金のセミナーというのは単にお金について学ぶ以上に、自分のライフスタイルとこれからの生き方について考えさせてくれる、貴重な機会なのではなかろうか。

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文責:みらいけn イズミコウ

 

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